PhDをsurviveするための心構え
もしくは研究者として生きる上での心構え。
ボスたちと話していて、これはいい考え方だな〜と思ったので、将来の自分のためにもメモしておく。(意訳および自分の解釈が大いに加わっています)
うちのラボのmain productはなんだと思う?論文とか学会発表とか、scientificな発見ではない。いちばん大切なproductは人。学生やポスドクをトレーニングし、優れた一人前の研究者として送り出すこと。それが一番大切なことだと思ってPIをやっている。
もちろん、いい仕事をすることは大事。論文を出すとなったら当然bestなjournalを狙う。でもいい論文を出すのは手段であって目的ではない。目的は人のトレーニング。
他の人が私達の研究をどう思うかはout of our controlで、気にしても仕方がない。私達の研究は誰の役にも立たないかもしれないし、誰かの命を救うことがあるかもしれない。研究はそういうもの。世界を変える研究がどこから出てくるかは誰にもわからない。
なので、わたしたちの持っているcuriosityに従うことが大切だ。自分がやりたい・知りたいと思うことを全力で研究し、自分たちにしかできないことをする。そうして人類の知見を増やす・科学の発展に貢献する。いつか世界を変える研究が出てきたとき、それに直接関わっていなくても、自分にしかできないことをやることで実は間接的に貢献している。
つまり、思うような成果が出ないとかいい雑誌に論文を出せないとかは気にしなくていい。研究が現在/未来でどう評価されるかは誰にも分からない。PhDの間に目指すことは、curiosityに従って自分にしかできない研究に全力をそそぐこと。研究者としての自分を鍛えること。それに集中すること。
PhD論文は卒業に必要だが、あくまで副産物であって、ゴールではない。PhDのゴールは研究者としてのトレーニングとCVの充実。
あとは辛いときにちょっとだけ元気になりそうなもの。
君たちは博士課程にいる時点で十分賢くて優秀だ。自分たちの能力を疑う必要はない。
You are not your research. 研究がうまくいかないことは君という人間がダメだということを意味しない。逆に、研究がうまくいってもそれはそのまま君という人間が優れていることを意味しない。大事なことは失敗や成功から何か学べるかどうか。
マルチディスプレイ環境のMacでアプリ一覧 (⌘+tab)を全画面に出す
覚え書き。
日本語で軽く検索しても有料アプリによる解決方法しか出てこなかったので、英語で検索して見つかった無料の解決方法を残しておく。
(この問題で困っている人にしか伝わらない記事)
問題
Macでマルチディスプレイを使用しているとき、⌘+tabでアプリ切り替えをすると「使用中のディスプレイ」ではなく「Dockがあるディスプレイ」にアプリ一覧が表示されるため、目線を動かすのが煩わしい。
Dockの位置は固定しておきたいし(左、自動で隠すon派)、このためにDockを動かしたら負けな気がする。
そしてこれだけのために有料アプリにお金を出したくない。
解決法
githubに神がいた。Awesome.
これを実行して、すべての画面に⌘+tabのアプリ一覧が出るようにOS(?)の設定を変えた。
gist.github.com
残った問題
すべての画面にアプリ一覧が出るようにはなったけれど、ちょっと表示にラグがあって、Dockがあるディスプレイより10-1秒オーダーで遅れて他のディスプレイに出ている気がする。せっかちなので2回に1回は結局Dockがあるディスプレイを見てしまっている。慣れたら気にならなくなるのか?
会社をやめてMITに学位留学するまでの話
2020年7月にそれまで勤めていた会社を退社し、8月からMITの博士課程に留学している*1。合格体験記として出願決意〜出願〜合格〜入学までのことを簡単にまとめておく。
自己紹介
現所属:MIT Department of Materials Science and Engineering(DMSE) 博士課程学生
学歴:東京大学 工学系(学士、修士)
職歴:国内メーカーに研究員として5年勤務
家族:妻と娘の3人家族
出願時のスペック
出願時のスペックをまとめておく。
TOEFL: 109(R:30, L:29, S:22, W:28)
GRE: V155, Q168, W3.5
GPA: 学部前期 3.04/4.00,学部後期 3.74/4.00,修士 3.97/4.00
論文実績: 査読付き1本,出願時submit済み 1本
国際学会発表実績: ポスター 3件
海外経験: 前職中にVisiting scholarとしてMITに6ヶ月滞在
奨学金:なし
推薦状:学部の指導教官、修士の指導教官、MIT滞在中の所属先の先生、の3名に作成していただいた
その他:First generationに該当*2
出願先:MIT DMSE(合格), MIT Department of Nuclear Science and Engineering(不合格), UC Berkeley Department of Materials Science and Engineering(不合格)
出願の決意
修士までは応用先は気にせず、純粋に科学的な興味で研究していた。しかし応用にも興味があったので、修士卒で就職し民間企業の研究員になった。仕事を通していろいろな分野・ステージの開発を経験し、自分の好きな研究のイメージを作ることができたので、時間はかかったが無駄ではなかったと思う。技術は一人では作れないことや、研究成果をビジネスにする難しさなど、研究そのもの以外でも大事なことを学ぶことができた。
前職中に運良くMITにVisiting scholarとして滞在する機会を得て、初めて長期間海外に滞在した。このMITへの滞在を通して、もっと一つの分野を深める研究をしたいと思うようになった。会社ではいろいろな研究テーマに関わることができたが、中途半端に広く浅く知っているだけの人材になってしまう恐怖感があった*3。また、専門性を伸ばす分野は(十分な予算がつくテーマは上が決めているという意味で)会社の方針によって決まることが多く、自分のことは自分で決めたいという思いもあった*4。
こういう背景で、好きな分野を集中的に研究する経験をしたいと思い、会社を辞めて博士進学することを決めた*5。
海外留学を選んだ理由は、この歳で会社を辞めるなら自分をより鍛えられる環境に身を置くべきだと思ったから、MIT滞在を経てもっと英語に慣れ親しみたいと思ったから、海外に住んでみたかったから、など。
アメリカを選んだ理由は、家族を養いながら博士を取ることができるから*6、MITの雰囲気を気に入ったから*7、一度滞在してアメリカが好きになったから、など。
このような理由でMIT単願とすることも決めた(あとでUC Berkeleyだけ加わった)。
といろいろ理由付けしてみたが、目の前にチャンスが現れたから考える前に掴んでみたとか、面白そうな方を選んだとか、そういう行き当たりばったり感は正直強い。
自分のスタート地点
最初に、出願の準備期間は1年かかった。
【TOEFL】
出願を決めてすぐに受けたTOEFLが75点で、GREも含めて英語試験の点数を上げるのに一番時間がかかった。MITに滞在していたものの実験をしていると誰とも話さずに終わる日もあり、英語力がなくてもやっていけてしまうことに甘えていたツケだった。
【GPA】
GPAは学部前期(教養課程)の数字があまりに低くて困った(3.04/4.00)。さいわい学部3年以降はましな数字だったので、学部1~2年は課外活動に勤しんでいたという苦しい言い訳を補助資料として提出した(UC Berkeley)。しかしUCBは落ちたのでやはりダメだったのかもしれない。
【CV】
筆頭論文は1本だったが有名雑誌でEditor's Suggestionに選ばれていたので、これは武器になると思いCVではなるべく目立たせた。nature系列誌で取り上げてもらったことがあったのでこれも記載した。
【推薦状】
推薦状の一つは滞在先のMITの先生に作成をお願いしたところ快諾してくださった。多分この推薦状のおかげで合格したのだと思うし、これがあったからMIT単願で挑戦できた。MITに滞在できたことや家族の理解を得られたことなど、本当に恵まれていたし運が良かった。ただ、この推薦状が強すぎて、僕の合格体験記はあまり参考にならないんじゃないかという危惧がある。
入学後に分かったが、僕と同じようにvisitingのポジションで一度MITに所属したことがあり、その時の所属先の先生に推薦状を書いてもらっている学生が同期に複数人いた。ラボ単位の交換留学など、あらゆるチャンスを利用してコネをつくることが合格への一番の近道かもしれない。
社会人が米国大学院に出願する上での苦労
僕が出願準備で苦労した点を3つあげるとすると、時間がない、奨学金がとれない、プライベートの環境変化、となる。
時間がない
当たり前だが時間がない。出勤前、お昼休み、就業後、通勤中など少しずつ時間を確保して準備を進めた。入社後数年で博士留学するキャリアを計画で就職するならば、英語の試験勉強を終わらせておく・候補のラボをリストアップしておく・コネをつくっておくなどの準備を学生のうちに進めておくとかなり楽になると思う。
また、出願準備中は他の勉強や読書の時間はほとんど取れなくなるので、会社でのキャリアに悪影響があるかもしれない。合格してしまえば関係ないのだが、ちゃんと歳は取るし、ある時期のインプットが英語の勉強だけになるのは結構不安だった。
奨学金がとれない
国内の博士留学向けの奨学金は年齢制限があったり大学に所属していることが応募条件になっていたりして、修士卒で数年働くと応募できる奨学金がかなり限られる。応募可能な奨学金についても過去の採用実績を見ると25歳以下がほとんどで、自分が合格する可能性は非常に低いと思われた。僕は3つの奨学金に応募したが、どれも不採用だった。
奨学金の応募書類は作成に時間がかかる。時間がないなかで採用可能性の低い奨学金の書類作成に時間をかけすぎたことは反省点である。
プライベートの環境変化
これはポジティブな影響も大いにあったのだけれど、出願締め切り1ヶ月半前に子供が生まれたことで生活環境が大きく変化した。里帰り出産だったので平日はそれまで通りに準備ができたし、出産に合わせて前倒しで準備をしていたことで(結局最後はバタバタだったが)出願自体は無事完了した。
その後子育てを経験してみて、子供がもう1ヶ月早く生まれていたら出願は無理だったかもしれないと感じている。社会人を経るとライフステージが進む場合が多いと思うが、子供の誕生までステージが進んだら(時間的に)博士留学という選択肢は取れなくなるだろうという実感がある。少なくとも、安易には人にすすめられないなと思っている。
また、「博士課程学生の給料で家族で生活していけるのか?」などの現実的な問題は別にある。このあたりはもう少し生活してからまとめたい。
※男性目線です。
間違えた戦略・反省点
奨学金を獲得して合格可能性を上げたいという思いが強かったため、奨学金の応募書類の作成に時間を割きすぎてしまった。出願先は絞るつもりだったので、その分はラボ調査の時間を削った。普通はもっと出願先は増やすだろうし、そのための調査時間は削るべきではない。合格したからよかったものの、もしもう一度出願するなら奨学金は諦めてもっとラボ調査に時間を回し、出願先を増やすことで合格可能性を上げる戦略を取るだろう。いいラボや大学はたくさんある。
英語試験の点数について
MITの内部の複数人から「TOEFLもGREもなるべく高得点を取れ」「あれは目標に向かって努力できることを数値で示すためのものだ」と言われていた*8。なのでTOEFLは足切り点を気にせずに可能な限り高得点を目指し、GREのVerbalも捨てずに勉強した。
Grad cafeで過去の実績を調べてGREの目標点を定めた。GRE以外では一生使わなさそうな単語を苦しみながら覚えた。高校生の時は英単語を覚えるのは得意だったが、アラサーになり全然単語が頭に入らず悲しくなった。
合格後
MIT DMSEでは入学後の最初の一学期をかけてラボ配属が行われる*9。先生にアポを取って面談をしたり、ラボの学生と話したりしてラボとテーマを選ぶ。つまり、出願時に「この先生のもとでこの研究をしたいです!!」と熱弁して合格してもそのラボに入れるとは限らない。別のdepartmentのラボを選ぶこともできるので、選択肢はかなり広い。良い面も悪い面もある、楽しく大変なプロセスである*10。
僕はこれを研究分野を変えるチャンスと考え、合格後から入学までの期間はじっくりとラボ調査をした。DMSE所属の全ラボ+αの過去5年分の論文を読んだ*11。子育てと退職準備で出願前より忙しいときもあったが、おかげで納得してラボとテーマを選ぶことができた。 周りのラボがなにをやっているのかが頭に入ったのも地味に役立っている。
これから
入学後もいろいろあったものの、今は無事にボストンで研究を始めている。30歳で再び大学で好きなだけ研究できる身分になれたことに幸せを感じている。研究分野を変えたことで卒業後のキャリアは不透明になったが、しばらくは目の前の研究を楽しみたい。
本当に周りの人や環境に恵まれたなと思うので、これからは自分も少しずつgiveしていきたいと思う。
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*1:COVID-19の影響で秋学期は日本からのリモート留学だったが。
*2:両親が大学学位を持っていないということ。ダイバーシティの指標とされているが、これがどのくらい効くのかはよく分からない
*3:自分の研究テーマ選びに軸がなかったという点で自分の責任である。そもそも研究能力が優れていればそれぞれの分野をもっと深堀りできたと思う。そういう意味でも博士課程に行って修行したかった。
*4:会社が僕に求める専門性と自分のやりたい研究がズレてきていたことも理由のひとつ。
*5:前の会社に対しては、MITまで行かせてもらったのに退職するのは申し訳ないという思いはあったが、気持ち的に諦められなかった。
*6:基本的に、アメリカの博士課程では学費・保険代は学生の負担ではなく、毎月の給料も支払われる。ただし、夫婦2人で±0、子供がいたら赤字になるくらいの額。海外の他の国も似た制度だと聞いたことがあるが詳しくは分からない。
*7:まだうまく言語化できていないが、collaborativeな雰囲気、モチベーション高く活動的な学生、そこにいる人の多様性、など。
*8:真偽は不明
*9:どうやらほかのいくつかのdeparmentも同じらしい
*10:普通は出願準備中に同じことをするのだと思う。ただし、このパターンは自分の専門外に移りやすいと思われるので、結果として調査範囲が広くなりがちかもしれない。
*11:かなりDeepLにお世話になった